株式会社アズコミュニケーションズ

2024.08.07

毎年、8月に思うこと

こんにちは。ブログ担当の渡邊です。
8月になりました。8月は日本の歴史において決して忘れてはならない、とても大きな出来事があった月ですね。6日に広島、9日には長崎に原爆が落とされ、15日に戦争が終わりました。終戦から今年で79年目となります。
皆さんの学校では平和授業の登校日はありましたか? 私が通っていた学校はもちろんありました。
6日の早朝に登校して、テレビで平和記念式典を観て黙とうを捧げたのを今でもよく覚えています。
大人になった今、もう学校に行くことはありませんが、原爆が落とされた時間には毎年黙とうを捧げています。

日本のあちこちが焦土と化した戦時下の出来事を、現代に生きる私たちはたくさんの本やメディアで学ぶことができます。小学生の頃、国語の教科書に「そしてトンキーも死んだ」というお話が載っていて、大変印象に残っています。(最近の教科書に載っていますかね?)音読の宿題が出たとき、大泣きしてしまって読めなかった思い出が…。このお話は有名なので、読んだことがあるかたも多いんじゃないかなと思います。

では、「かんからさんしん」は聞いたことがありますか?
これは絵本もアニメ映画もありまして、私は映画を観たことがあります。
「かんからさんしん」は沖縄戦を生き抜いた子どもたちを描いたお話です。戦地へ行ってしまったお父さんの代わりにお母さんと妹を必死で守る男の子が主人公で、彼は三線の弾き手でもありました。

映画のタイトルにもなっているかんからさんしん(カンカラ三線)ですが、これは角材や空き缶などで作った簡易的な三線のことです。今でもネットで調べてみたら、すぐに作り方が出てきます。
本来の三線は蛇の皮を張った胴を持ち、中には原木選びから何年もかけて作る場合もあります。(弊社の三線はすべて合皮を使っております)
細々した道具や部品を揃える必要はありますが、カンカラ三線は誰でも作ることができます。
いろいろ調べてみたところ、戦時中に収容所に集められた人たちが米軍のコーヒーの空き缶やパラシュートの紐といった廃棄素材を使って、カンカラ三線を生み出したそうです。
このエピソードだけでも、いかに当時の沖縄の人々にとって音楽が大切なものだったかがよく分かりますよね。「何とか三線を作ろう」と思い立ったわけですから。
絶望の中、カンカラ三線を作って、弾いて、歌う…それが大きな心の支えになっていたと思います。きっと、音楽を楽しんだあの平和な日々が戻ってくることを心から願ったのではないでしょうか。もしかしたら、戦禍の中で亡くなってしまった人々への鎮魂の意味もあったのかもしれません。

かんからさんしんの主人公の少年は13歳。2024年現在であれば飢えに苦しむことはなく、学校へ通って勉強や部活に励み、友達と楽しい夏休みを過ごせていたことでしょう。お父さんが戦争にとられることだってなく、大切な人を失うこともなかったはずです。
日本は度々震災に脅かされる国ですので、今は今で困難なことはたくさんありますが、少なくとも「今日明日、いつ“爆撃”で死ぬか分からない」という状況に置かれることはありません。そう考えると、何気なく三線を弾けるこの今がとても貴重で尊いものに感じられます。
私も生徒さんたちのために三線をはじめとした楽器のメンテナンスができるこの平和な日々に感謝し、あらためて一日一日を大切に過ごしていきたいと思いました。

この日は矢鍋さんが三線のメンテナンスをしてくれました。

戦時中は三線を弾くことがなかなか叶わず、代替品として廃材などを駆使して作ったカンカラ三線を弾いていました。その当時はカンカラ三線を弾かざるを得なかったわけですが、平和になった今では音楽の授業で本来の三線をレンタルし演奏することができます。
本来の三線は優しく柔らかな音色が特徴で、美しい海に響き渡るような一音一音の清々しさが魅力でもあります。弾いてみたら分かると思うのですが、三線の音はとてもクリアなんですね。聴いていて心地良く、気持ちが安らぎます。弊社では全国津々浦々いろんな学校さんが三線をレンタルしてくださるのですが、三線独特の悠々とした音から沖縄の自然を感じながら演奏を楽しんでいらっしゃるのではないかなと思っています。
長い間沖縄の人々から愛され、心の支えとなった三線、ご興味ありましたらぜひお問い合わせください。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。